







松平家7代当主。13歳で家督を継ぐ。積極的な軍事行動で三河を平定し、尾張の織田信秀と戦うが、いわゆる守山崩れにおいて家臣・阿部弥七郎に殺された。

松平家臣。忠勝の父。清康・広忠の2代に仕え、数多くの合戦で活躍。広忠の死後、太原雪斎の麾下で織田家の安祥城を攻めたが、矢を受けて戦死した。

今川家8代当主。幼くして当主となり、馬廻衆の創設や、検地の実行、流通の活性化などの政策を実施する。しかし、名将の評判が立ち始めた途端、急死した。

美濃守護。家臣・斎藤道三と結んで兄・政頼を追放し、家督を継ぐ。しかし、のちに道三に美濃を追われた。一時和睦して帰国するが再び追放され流浪した。

今川氏親の子。法名・玄広恵探。8代当主・氏輝死後の家督争いで起こった花倉の乱で梅岳承芳(今川義元)と戦ったが、敗れて自害した。



